2021/9/3金曜サロンスペシャル 〜 映画づくりを通して伝える身近な『生物多様性』〜

 話し手の島倉さんは、金曜サロンスペシャルの登壇が今回で4回目(最多出演)になります。ご自身が映像関係のお仕事をされていたことから、過去の3回のお話も「映像で見る稲城の宝」、「名シーンでたどる映画百年史」、「尾根幹線建設記録」といずれも映像をテーマにしたお話をいただきました。
 今回は、2010年4月から2016年5月までの約6年間の撮影期間、その後2年間にわたる編集期間を経て完成したドキュメンタリー映画「三沢川いきものがたり」の制作にかかる苦労話やエピソードについて語っていただきました。

 【三沢川いきものがたり制作のきっかけ】
 島倉さんが「三沢川の生き物をまとめた作品が作れそうだ」と思ったきっかけとなったのは、ご自身の健康のため、ウォーキングを始めた矢先に三沢川沿いを歩いている時に偶然、アオダイショウとハシボソガラスの対決を見たことからでした。
 稲城市で初めて見る光景を、じっと息を飲みながらその様子をカメラに収め、「生態系の上位にあるヘビが生息しているならば、それより下位の生き物たちがたくさん生息しているに違いない」と考えたそうです。それからというもの、三沢川に棲む生き物たちの生態に魅せられ、雨の日も風の日も休まず川を訪れては、たくさんの生き物の写真、動画を撮り続け、それがドキュメンタリー映画「三沢川いきものがたり」の完成につながりました。

【1人で10役】
 通常の映画撮影であれば、演出(監督)、制作担当、撮影、録音、照明の最低5つの部門編成に分かれ、着手から完成までにかかる人数は少なくとも20人から30人のスタッフが必要であると言われていますが、「三沢川いきものがたり」は、企画・構成・演出・撮影・編集など、全ての作業を島倉さんがすべて一人で行いました。

【映画の特徴】
 「三沢川いきものがたり」の特徴は、島倉さんから言わせると「プロが作ったアマチュア映画」であり、「政治色なし」「教育色なし」「対象者の年齢制限なし」の三つの「なし」をモットーにした、今風に言うと「ゆるーい作品」に仕上がったそうです。生き物についての詳細な解説はしていませんが、島倉さんは「子供たちにはこの生物がどのようなものかは自分で調べてほしい。」「映画を観てもらって、何らかの『気付き』があれば嬉しい」とお話をされていました。
 しかし、ご本人が自認(謙遜)されているようなゆるい部分だけではなく、今回の講演の中でも三沢川に生息する生物をたくさん紹介していただきましたが、プロジェクターに映し出される三沢川に生息する鳥類、魚類、昆虫類、爬虫類の映像(アオダイショウを正面から映したかわいい写真、水質の良さを証明するカワセミとサギの写真、鯉の産卵、トカゲの縄張り争い、蝶の写真など)は、どれも興味をそそられるものばかりで、会場に来られた皆さんも映像にくぎ付けになっていました。なお、この映画の冒頭シーンである島倉さんが最初に遭遇したカラスとヘビのバトル映像は、YouTubeで既に70万回以上視聴されているそうです。
 三沢川は人が岸辺に降りる場所が少なく、島倉さんは、川を見下ろす高所からのアングルでほとんどの撮影をしてきましたが、撮影する時にはその生き物の目線に合わせるように心がけ、上から目線には見えないようなカメラアングルを工夫されてきたそうです。

【撮影を終えようと思ったきっかけ】
 自然を相手にしたドキュメンタリー映画の撮影には終わりはありません。ドラマの場合は起承転結があってシナリオが描かれていますが、ドキュメンタリー映画は撮りためた記録をつなぎ合わせる作業が必要になってきます。そのため、絵をつなぎ合わせることによって、動きを完成させる点で、島倉さんはドキュメンタリー映画もフィクションであると思っているそうです。
 島倉さんはこのフィクションを完成させるために、「もっといいカットを撮りたい」「セキレイの求愛ダンスのようなもっと絵になる珍しいシーンがほしい」という気持ちが強くなっていきましたが、5年経っても撮れなかった情景にはそう簡単に出会えるものではなく、島倉さん自身もそうこうしているうちに次第に鳥や魚などに出会う機会が減ってきているように感じ、出かけても収穫のない日が続くようになりました。
 それは島倉さんにとって「もうそろそろ撮影は終わりにしたら」という合図のように感じられたそうです。約6年間に及ぶ撮影はこうして幕を閉じることになりました。気がつけば南山の開発が進み、斜面の色も開発によって色が変わっていたそうです。

【終わりに】
 「生物多様性」とは、「生きとし生けるもの全て」であるということです。
この映画は三沢川という狭い範囲ではありますが、50種類以上の生き物を題材に、何千もの映像カットを元に作られた貴重なドキュメンタリー映画です。
 島倉さんが稲城市に移り住んできたのは1964年で、既に半世紀以上稲城市に住んでいることになります。この映画制作の根底には、島倉さんの第二の故郷である稲城市にある三沢川の豊かな自然を1人でも多くの人に知ってもらいたいという思いが込められています。
 島倉さんが来る日も来る日も三沢川に出かけて、この映像を撮り続けてきた背景には、生まれ故郷よりも長く生活をしてきている稲城市への強い郷土愛が大きな原動力になっていると感じました。
 今はコロナ禍で、映画上映会も十分にできない状態が続いていますが、島倉さんは一日も早く多くの皆さんにこの作品を観ていただく機会を作りたいとのことでした。(Y.OGAWA)


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