2023/2/3金曜サロンスペシャル ~私と稲城そして関戸~ 自分育て・まち育て

  今年最初の金曜サロンスペシャルは、市民活動サポートセンターいなぎの理事をされている小林攻洋さんの登場です。今や押しも押されもせぬ市民活動サポートセンターいなぎの大黒柱である小林さんに、満を持して金曜サロンスペシャルに登壇いただきました。
 小林さんは、稲城市役所に長年勤務され、企画課などまちづくりの仕事にも携わってきました。そして部長職を経験されて定年した後も、OBとして稲城のまちづくり活動に長く携わってきました。
 一方、小林さんは多摩市関戸にお住いですが、地域の支え合いの仕組みづくり活動を行う「まち育てネットワーク・関一(関戸、一の宮)」の代表や関戸自治会の副会長など、多摩市でも幅広く地域活動に参加されています。
 また、ご自身では多摩市関戸で「コレクティブハウス」や「けぇどの会所」など、新たなコミュニティのある暮らしづくりの創設にも取り組んでいらっしゃいます。
 今回の金曜サロンスペシャルは小林さんの自分史として、稲城市での職員時代、市役所を卒業された後の活動や、現在ご自身のお住まいになっている多摩市関戸での取り組みなどについてお話をしていただきました。

 

1 【小林さんの自分史】

 小林さんは福島県石川町に生まれ、学校法人石川高校、茨城大学工学部を卒業し、東京に出てきて様々な仕事に従事、塗装職人の仕事もされたそうです。1973年の結婚を機に稲城市役所に入所、広報広聴、生涯学習、商工振興、福祉、企画などの仕事に関わり、2001年に定年退職となりましたが、退職後も市民活動サポートセンター理事など、市民活動の中間支援の活動を通して協働のまちづくりに携わる傍ら、いなぎエコ・ミューゼなどの自主グループを立上げ、市のまちづくりなどに大きな貢献をしてきました。

(1)市役所時代
①中央公民館時代
 中央公民館の係長をしている時には、ナポレオンという暴走族のグループのメンバーが公民館によくたむろをしていたそうです。そこでそのメンバーと話し合いの機会を持つことになり、その席で「バイクも良いけど他に何かやりたいことはないの?」と聞くと、意外にも「俺たちはバンドを作って音楽がやりたい!」という答えでした。「だったら、ここのホールを空いている時に使わせてあげるからやれば」と言うと、それから彼らは仲間を集めて夢中で練習し、自力でロックコンサートを開催するまでになりました。それが現在の「稲フェス」につながっていくことになったそうです。
②福祉事務所時代
 福祉事務所に配属された時は「ノーマライゼーション」という言葉が日本に入ってきた頃で、初めてその言葉を聞いて目が覚める思いだったそうです。世の中にはハンディのある人もない人も、いろいろな人がいることの方が当たり前な社会なのだという考え方です。
 当時、福祉事務所で小林さんが仕事をしていると、稲城で女性初の社会福祉協議会の会長になった安斎ハツエさんが仕事の上で日頃考えていることを話しに頻繁にやって来るようになりました。でも特に助言を求めるというのではなく、話し終わると「まぁいいか!」と独り言を言いながら自分で納得して帰っていったそうです。
 小林さんはそんなふうに自分の思いや時には悩みを他人に聞いてもらい、その上でその思いを具体的にカタチにしたり、時には「まぁいいか!」と悩みを吹っ切って前に進んで行く安斎さんの姿勢には、その後の仕事を進めていく上で、とても参考になり影響を受けた一人だということです。
③企画課時代
 企画課時代の思い出としては、青島都知事時代に東京都の予算で手作り市民まつりの前身として「ガーデンシティ多摩」という名称でお祭りを開催したことや若葉台のまち開きをしたことなどが実務上の思い出としては印象深いそうです。
 また、当時市役所には自主研究グループを立ち上げると年間5万円を助成するという制度があり、企画課が担当していましたが、小林さんが課長として企画課に異動してみると何と実績はゼロでした。いつまで待っても手を挙げるグループが現れなかったので、小林さんは「だったら自分で立ち上げちゃえ」ということになり、1997年に立ち上げたのがまちづくりグループ「いなぎエコ・ミューゼ」でした。
 このグループの活動が先駆的だったことは、職員のための制度であったにも関わらず、当初から都市計画を業とする市民などにもメンバーとして参加してもらったことです。職員はそうしたメンバーにまち歩きのノウハウを学びながら一緒に市内全域を対象にタウン・ウオッチングを繰り返すなどして稲城の魅力再発見に務めました。その時に見いだした大丸用水や多摩ニュータウンのパブリック・アートなどを見て歩くコースは稲城の魅力を再認識できるコースになっていて、今もなお市民を募ってまち歩きを続けています。
 そうした活動のあり方こそが行政と市民による協働事業そのものであったと当時の思い出を振り返っていらっしゃいました。

(2)定年退職後の活動
①NPO法人市民活動サポートセンターいなぎ
 定年退職後の2年間は「市民活動サポートセンターいなぎ」の設立に再任用職員として関わり、退職後は理事としてその運営に関ってきました。
 この会は当初は協議会としてスタートしたのですが2006年11月にはNPO法人を取得し、その後、地域振興プラザの指定管理者に指名されるなど、市民活動の中間支援組織として、様々な社会貢献活動を支援し、協働のまちづくりにつながる活動をしてきました。
 その間、小林さんは、主に協働に関する講座や市民活動交流フェスタ、ニュースレターの発行などを担当され、イベントの開催や機関誌の発行などを現在の形にするまでの先駆的な役割を担ってきました。

②NPO法人いなぎ里山グリーンワーク
 2003年5月には、里山再生のための組織づくりに発起人として関わり、同年11月に「いなぎ里山グリーンワーク」を設立、翌年3月から事業をスタートさせ、2005年5月にNPO法人を取得しました。小林さんは2020年6月まで同会の事務局長として関わってきました。
 里山グリーンワークは当初から生活協同組合パルシステム東京の組合員の農業体験の場として同生協と協働で事業を進めており、都内全域から、年間3,000人以上の組合員が家族連れで農業体験に訪れています。
 また、ミュージシャンを招いての「竹あかりコンサート」や、市内で音楽活動をしている若者や近くで里山活動しているグループなどを巻き込んで“森フェス”を開催しました。
 生協との協働事業の推進や「竹あかりコンサート」、森フェスの開催などは、まさに小林さんならではの発想によるもので、ここでも小林さんが協働というキーワードをしっかりと実践に移している姿がうかがえます。
③一般社団法人くらすクラス
 JR東日本から南武線東長沼駅近くの高架下に住民が集う賑わいのある広場を作りたいという要請があり、小林さんはその設立と運営に関わりました。(2015年11月に一般社団法人いなぎくらすクラスを設立)
  

2【地元関戸での取り組み】

①コレクティブハウス聖蹟
 コレクティブハウスとは、賃貸アパートでありながら居住者がみんなで話し合い、一緒に汗を流しながら暮らしを作っていくというスタイルの居住空間です。小林さんは2009年4月に「コレクティブハウス聖蹟」をオープンさせ、その大家さんとしてコミュニティのある暮らしづくりに関っています。
 コレクティブハウス聖蹟は、20戸の住戸と豊かなコモンスペースをもつ賃貸アパートです。小林さんの「地域の人と交流が持てるような賃貸住宅を作りたい」という思いにより実現しました。
 昔、日本には長屋が多く存在していましたが、そんな長屋のような人間関係の温もりが今のコンクリート集合住宅には見られなくなり、ともすれば隣にどんな人が住んでいるのかさえわからないという、居住者同士のコミュニケーションが失われつつあります。小林さんはそのような集合住宅ではなく、長屋のような温もりのある賃貸住宅を作りたいと考え、オープン2年前から居住希望者を募ってたくさんのワークショップを積み重ね、その意見を建物の設計に反映させたり、そこでの暮らし方について話し合い、白紙の状態からこのコレクティブハウスを作りあげました。
 居住者は「居住者組合」を作り、月1回の定例会を中心に暮らしの中の様々なことをみんなで話し合いながら、ハウスの自主管理・運営をしています。交代で料理や掃除をしたり、地上庭や屋上菜園の手入れをしたり、イベントを開催して、楽しみながら暮らしの運営をしています。現在も乳児から70代の高齢者まで多様な年代の人たちが日々楽しく暮らしを作っています。
 こんなところからも「人と人とのつながり」を大切にされている小林さんの思いというものが垣間見られます。

②けぇどの会所・けぇどの長屋
 「けぇどの会所」(けぇどは小林家の代々の屋号で、鎌倉街道の「街道」が訛った言葉)は旧鎌倉街道沿いに新しく開所した、蔵のような和の佇まいの建物で住居あり、カフェあり、ギャラリーありのヒト・モノ・コトが出会う民間のコミュニティスペースです。
 「地域の人たちが集まる場所として公民館があるが、公的機関だとどうしても制約がある。公民館のような場所を民間でやってみたかった」という小林さんの思いから民間が地域に開いていく場所としてこの建物を創りました。
 ギャラリーは小林さんのお子さんたちが主体で運営していますが、その効果として関戸地区以外の方や他市の方などがギャラリー目的で来るようになったそうです。
 ふらっと誰でも立ち寄れる開放感溢れるみんなの居場所として、また、ゆっくり読書をしたり、誰かと会ったり、時にはこの場所を貸し切ってイベントやワークショップ、食事会をするなど多目的に使っていただきたいという小林さんの思いが詰まっています。
 コロナ禍での開設であったため、これからが本格的な稼働となりますが、けぇどの会所を共に楽しみ、この土地の人々とゆるやかに繋がりながら、多くの人が立ち寄り、語らい、日々の暮らしが少し豊かに感じられるような場として、みんなが参加し、ここを育てていく、そんな「まちのコモンスペース」として機能していって欲しいという思いがあるそうです。

③地縁活動(まちネット関一・小中学校行事・関戸楽園祭・自治会・サロン)
 多摩市の社会福祉協議会が進めている活動に地域福祉推進委員会という組織がありますが、小林さんたちはその名称がいかにも堅くてつまらないという発想から、地域の支え合いの仕組みづくり活動を行う「まち育てネットワーク・関一」という名称にしました。小林さんはそこの代表や関戸自治会の副会長を歴任するなど、多摩市でも幅広く地域活動をしています。
 まち育てネットワーク・関一の関係で、最近は小学校の子ども放課後教室にも駆り出され、子どもたちに凧揚げや竹馬、竹とんぼなどの昔遊びを教えているそうですが、それを語る小林さんの笑顔がとても印象的でした。
 また、地域活動の醍醐味としていの一番に小林さんがあげたのは、地域の行事が終わったあとの飲み会でした。みんなでひと仕事終えたあとのお酒と参加した人たちとの本音の会話、それが楽しみで地域活動をやっていると言っても過言ではないということです。


まとめ

 小林さんは、同じ組織である事務局長の私から見てもとにかく何をしていてもかっこいい、ダンディーな方です。その風貌からはとても御年80歳を超えた方には見えないお洒落で若々しいイメージがあります。この若さはどこからくるのだろうかと考えると、ご本人が言われるように「人と接していることが何より好き」だということ、これに尽きるように思います。人との会話の中で何か新しいものを発見したり、興味を持ったりすること、それが小林さんの若さの秘訣であり、ご自身を様々な活動に突き動かしてきた原動力になっているように思えました。
 今回の金曜サロンスペシャルは事務局として追加PRの必要が全くありませんでした。なぜなら、小林さんの記事が広報に掲載されるやいなや満員御礼となってしまったからです。改めて小林さんの人気がいかに高く、多くの市民の皆さんに支持されているかを知ることになりました。
 小林さんの魅力は一言では言えないほどたくさんあると思いますが、その中で一番人を引き付けているのは、「自分が動いてその背中で人を引っ張る」姿勢ではないかと思います。ご自身も「思いついたらまず自分が汗を流すことが大切」と言っている通り、市民活動とは理論や議論だけではなく、まず、自分が動いて実践していくこと、これこそが小林さんが長い間、背中で見せてくださっていた市民活動における最も大切な姿勢であったのだと思います。だからこそこの人の言葉には嘘がなく、多くの人から信頼され支持される理由なのだということがよく分かりました。
 残念ながらサポートセンターいなぎの理事は今期で退任されるということですが、小林さんが在任中に残してくださった大切なものをこれからも稲城市の大きな財産として新しい理事の皆さんがその精神を継承していくこと、これこそが大切なことだと思います。
 私も多摩川衛生組合の事務局長を最後に市役所を退職したという小林さんとの共通点がありますが、どのような形であれ、自分のライフワークとして、何らかの活動を通して小林さんの背中を追い続けていきたいと思っています。
 そして、時には飲み仲間としてこれからもおつき合いいただけたら大変嬉しく思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。(Y.OGAWA)