話し手:鈴木萌さん(東長沼在住)
テーマ:みんなでつくる地域の居場所
萌さんは稲城育ちの24歳、地域の看護士アーティスト。みんなで“たべよう・はなそう・つくろう”がテーマの店「いな暮らし」を母であるともみさんと一緒に、多摩川沿いの民家で営んでいます。
そこでは、いろいろなことが行われており、日々様々な出会いが生まれています。例えば、縁側でのくつろぎ、ヨガ教室、本の読み聞かせや貸し出し、ライブ演奏、子どもも参加のおやつづくり、お坊さんによる精進料理と座禅の会、寝転んで見てもいい映画会等々。
こんなエピソードも披露してくれました。
小4の女の子2人が常連さんにいて、いつも遊びにくる。頼めばお手伝いもよくしてくれる。その女の子の一人が、先日、お父さんを初めて連れてきた。
きっと、自分の好きな場所をお父さんに見せたかったのでしょう。
吉祥寺から自転車で30分以上かけてやってきた親子連れもいたといいます。
玄関があるのは、客の何割かは庭を通って、縁側からやってくる。その縁側で、コーヒーを飲みながらくつろいで本を読んでいる男性もいる。ここには、昔ながらの縁側の光景が残っています。
いったいここは店?それともカフェ?・・・そんなコトバでは納まらない営みがここでは展開されているような気がします。
【看護×アートの視点】
萌さんは、看護士でありながら、なぜ病院ではなく、地域をフールドに活動しているのか?料理をつくり、絵を描いたり歌ったり、型にとらわれない自由な表現活動をしているのか?そんな生き方を選んだ動機は何だったのでしょうか。
「看護×アートの視点」、この何とも釣り合わないタイトルの謎解きを聞いているうちに、なるほどそうだったのかと納得できました。
萌さんは、助産師に出会って、それがいわゆる医療行為ではないことにビックリ、自分の身体を使って行うそんな営みが昔からあったのだということを知って、それなら看護学を学んでみようと大学進学を決めたそうです。
しかしいざ大学に入ってみると、そこで学ぶことの9割以上は西洋医学、そのことに違和感を感じ、大学では自分の居場所を見つけるに苦労したそうです。
芸術系の学生と一緒に過ごしたり、学校の外に居場所を見つけたりと、自分探しをしていましたが、そんな時に、インドのブッタガヤで開催されたアートまつりに参加、そこでアートと出合ったことが転機になります。東日本大震災の1月前のことだそうです。
小学校の壁を利用したウォールアート、その作品づくりに子どもたちは少しの躊躇もなく、むしろ喜々として参加していたのです。識字率が50%にも満たない地域での光景です。
萌さんも大学でやっていたチェアダンスを披露します。すると、子どもたちをすぐに真似をしはじめ、その輪がみるみるうちに広がったそうです。みんなイキイキと・・・
その時に初めて、アーティストとは特殊な人種ではないのだということに気付かされます。生きていることそのものがアートなのだということです。
そして、医療行為ではできないことを行うのが看護士の仕事だということに思い至ります。しかも、母性看護や小児看護、精神看護ではなく地域看護。
地域の中に、さりげなくいる看護士がいてもいいかなァ〜そんな思いが徐々に生まれたそうです。
その思いが、今の「いな暮らし」の形に繋がっているのかも知れません。
「今も実験途中」だという萌さん、これからどんな進化を遂げるか楽しみです。
(K.K)