池上さんは都内の大学を卒業し、㈱東急ホテルチェーンに入社しましたが、6年後に故郷である長野県駒ケ根に住むお父様が急逝されたため、家業である飲食店を継ぐために帰郷され、以後約20年間にわたって駒ケ根でお店の経営をしていました。
その後、2015年に家業の飲食店を廃業し、再び東京に出て五つ星ホテルの「シェラトン都ホテル東京」でホテルマンとして再出発することになりました。
ホテルの仕事も順風満帆にこなしてきましたが、故郷駒ケ根の青年会議所や観光協会等で関わった観光資源の磨き上げなど、観光まちづくりへの魅力が忘れられず、そのような仕事に関われる場所ということで職探しをしていた矢先に、「稲城市観光協会」職員募集の記事を目にして応募したところ、採用の内定を受けたことから、2021年3月にシェラトン都ホテル東京を退社、同年4月から稲城市観光協会事務局長として着任し、現在に至っています。
これからの稲城市の観光まちづくりに係る取り組みなど、東京と地元駒ヶ根での話題を織りまぜながら、55年間の半生を振り返っていただきました。
1 池上さんのプロフィール
池上さんは長野県駒ケ根市の出身、生家は料亭を営んでおり、生まれてから大学入学まで駒ケ根市で過ごしました。都内の大学卒業後の就職時は世の中はバブル景気の真っ只中で、企業説明会にお車代が出ていたそうです。
池上さんはゼネコンへの就職も考えましたが、実家が飲食店だったので、ご両親から「いずれ家業を継ぐ上で勉強になるところへ行きなさい」と反対され、㈱東急ホテルチェーンに入社し、「羽田東急ホテル」へ配属になりました。
池上さんは勤務地まで毎日モノレールに乗って通勤に約2時間かけて通っていました。最初の仕事は春から夏にかけては主に屋外プールの会計を任されていましたが、古いホテルだったため、屋外のみのプールしかなく、雨が降ると上司から「出勤しなくてもいい」と言われ、雨の日は出勤はしなかったそうです。また、プールが閉鎖になる秋口から冬にかけては毎回泊まり勤務のコーヒーハウスのウェイターを1年半ほどして、最終的には客室営業に配属となりました。
当時の羽田空港は、入社時には旧ターミナルでしたが、その後、沖合への移転プロジェクトに伴い、現在の新ターミナルへと変わりました。
6年後、池上さんのお父様が急逝されたため、実家に戻り、家業である駒ケ根市の飲食店を継承することになりました。以降約20年間、経営者として、また板前としても家業の飲食店を切り盛りしていた池上さんでしたが、2015年に家業を廃業することを決断し、再び東京に出ることになります。
そして2015年春にかつて東急ホテルでの職務経験もあったことから、シェラトン都ホテル東京(㈱近鉄・都ホテルズ)に入社し、最初はセールス部に配属となりました。白金台、清正公前のホテルと言えば「都ホテル」。八芳園に隣接し、その庭園は八芳園とつながっているそうです。近鉄グループのホテルは、かつて「東の帝国ホテル」、「西の都ホテル」として並び称され、京都蹴上のウェスティン都ホテル京都や志摩観光ホテルがフラッグシンボルのホテルチェーンです。
ところが、観光業界が集客を目論んでいた2020年の東京オリンピック・パラリンピックがコロナ禍による延期や規模を縮小するなどの影響により、ホテル経営も厳しい状況に追い込まれてきました。
このような状況の中にあって、池上さんは2018年11月に今まで住んでいた稲田堤から稲城市に引越しをした際に、稲城市に観光協会が設立されることを知ることになります。コロナ禍にあって、引き続きホテルに勤めながら、職員採用面接を受け、2021年4月から同職員としての採用予定者となりました。
その時、ホテル側に年度末をもって退職を申し出た際、同僚の間で今回のテーマとなっている「池上、ホテルやめるってよ」の話題が飛び交うことになりました。
2 駒ヶ根時代の話
池上さんの故郷である長野県駒ケ根市は「2つのアルプスが映えるまち」というキャッチフレーズにあるとおり、中央アルプスの雄大な自然に抱かれた観光名所です。特に標高2500mにある「千畳敷カール」は中央アルプスの清々しい美しさを楽しみながらの散策が楽しめるスポットです。その他にも四季折々の駒ケ岳を一望できる「駒ケ岳ロープウェイ」や光苔で有名な「光前寺」、養命酒の作り方から試飲まで楽しめる「養命酒駒ケ根工場健康の森」など多くの観光スポットが点在しています。
この故郷駒ヶ根にて、池上さんは先代の急逝により、急遽料理店の経営兼板前の仕事を始めた矢先の1996年、29歳の時に仕事である料理屋と並行して「駒ケ根青年会議所」にも入会し、以降はその活動に精力的に従事されていました。池上さんに言わせると「田舎の若者は忙しい」ということで、青年会議所絡みで様々な活動をしてきました。青年会議所では「まちづくりはひとづくり、しくみづくり」という組織論のキャッチフレーズがありますが、池上さんはそれを実践を通じて学びました。
一例としては、駒ケ根市には青年海外協力隊の訓練所があり、池上さんは、国際交流をテーマとしたイベント「みなこいワールドフェスタ」の実行委員となり、「帰国隊員の第二のふるさとづくり」を目指し、地域の国際化まちづくり運動を展開しました。
その他にも駒ケ根観光協会では誘致推進部の副部長を務め、法被を着て東京、名古屋、大阪へ観光キャラバンに出かけました。また、「まちの発展なくして商売繁盛せず」という信念のもと、「こまがね本町商店街」「商連こまがね」「駒ケ根商工会議所」の活動にも積極的に参加していました。
そして何より池上さんの活動として特筆すべきは「駒ケ根ソースかつ丼会」の副会長としてマスコミなどへのPRも含め、活躍されていたことです。観光資源としてソースかつ丼を提供するに至るまでには「駒ケ根の魅力とは何か」をメンバーで再三に渡って議論したそうです。
それまで地域資源調査事業として「山うどを使った特産品」を考案し、テレビなどにもPRしましたが、インパクトは今一つでした。そんな中、話し合いの結果、『やはり駒ケ根は「ソースかつ丼」を全面に出して勝負してみよう』という声が上がり、初めて上野松坂屋の信州物産展にてソースかつ丼を出品し、池上さんは副会長としてその先頭に立って陣頭指揮をとりました。当初は1週間で300食売れればいいと思って始めた物産展でしたが、土日だけで2000食くらいが売れるという予想外の嬉しい結果となり、メンバーの間でもソースかつ丼でいけるという自信が芽生えました。「食は街おこしになる」厳しい経済不況の中でしたが、その当時は「ぶれない組織」であったからこそ、目標を達成することができたそうです。
そして遂にソースかつ丼会10周年にあたる2007年6月には、第2回「B1グランプリ・富士宮大会」に初参戦することになります。当時、マスコミに駒ケ根ソースかつ丼をとりあげられることが多く、「ふるさとをブランド化した男たち」としてパネルディスカッションにも招聘されたりと多くのメディアにも紹介されました。
今回の金曜サロンスペシャルでは、当時のローカルテレビ番組で、ダチョウ倶楽部の寺門ジモンさんと上島竜平さんがゲスト出演し、ソースかつ丼を試食する場面をDVDで紹介していただきました。そこには若き日の池上さんが出来立てのソースかつ丼をスタジオに運んできて、アナウンサーやゲストからいろいろな質問を受け、それに堂々と答えている姿が印象的でした。
3 稲城市観光協会事務局長として
池上さんは2021年から観光協会の事務局長に着任しましたが、今の職にあって池上さんが気をつけていることは、「どこの、どんな方法が良いか悪いかということではなく、その地域にはその地域の現状や課題があり、その組織にはその組織固有のテーマや改善点があるということ」をいつも念頭に置いていたいそうです。
観光協会における事務局長としての職も、誰にも負けない自分らしさ、池上らしさをこれからも全面に出していきたいということです。それは、ホテルマンからスタートし、商売人であり調理師であった自分の持ち味を活かしていきたいということだそうです。
「観光まちづくり」とは、市民の共感によるご当地自慢であり、この地域ならではの魅力を再発見し、他にはない地域資源として知名度アップを図ることにあります。観光は新たなヒト・モノ・カネ・情報の循環を創造するための地域の潤いであるべきであり、人は共感によって動くものであるから、これからも市民の皆様に応援してもらえて、様々な機会を与えてもらえるような観光協会、観光まちづくりに取り組みたいと力説されていました。
4 まとめ
私は池上さんと今、同じ建物の中で仕事をさせていただいていますが、とても真摯で穏やか、そしてさっぱりしたお人柄です。それはホテルマンとしての接遇などを通して培われたものではなく、ご本人が生まれ育った駒ケ根という雄大な自然の中での環境、もちろん家庭環境など、ご本人が生来持っていらっしゃる性格によるものでとあると感じています。
池上さんがホテルマンを辞めて観光協会に転職した一番の大きな理由は、駒ケ根の青年会議所で様々な観光資源等に触れていたことが、池上さんを転職に導いた大きな動機付けになっていたそうです。
そして、池上さんがおっしゃるように観光まちづくりの中に「池上らしさ」というものを是非これからも出していってもらいたいと思いました。
稲城市観光協会が指定管理をしているペアテラスでは、池上シェフの作るスープが時々メニューに出るそうです。約20年間の調理経験は他の観光協会にはない人的資産であり、池上さんならではの強みであると思います。
昨夏は、わが職場でも池上シェフ試作中の梅ジュースを試飲させていただきましたが、こんな美味しいジュースは飲んだことがないと思えるほど美味でした。
また、現在開発中の「いなぎけんちん汁」も今度是非食べさせていただきたいと思っています。
そして、これからの稲城市の観光スポットの一つとして「ソースかつ丼」のような何か名物になるようなものが生まれるとしたら、この人が作るのかもしれないという夢を抱かせてくれる方、それが池上さんです。
これからもそんな池上さんの「らしさ」を存分に発揮していただきたいと思いました。
(Y.OGAWA)