話し手:藤森敬三さん
テーマ:「描き続けて70年」
実は第1回目の話し手が藤森さん、その時は、現役時代に技術者として培った知識と経験から「水」がテーマでした。
そして今回は、藤森さんのもう一つの側面、描き続けてきた絵画人生についてお話していただきました。
藤森さんが描くことに目覚めたのは中学時代、当時は週1枚のペースで描いていたそうです。そんなわけで、本来は美術を専攻したかったそうですが、親の反対もあって機械工学を専攻。大学に入ると絵はあまり描かなくなってしまったということでした。
結婚して稲城に居を構えることになるのですが、稲城の第2文化センターで、西原観風さん(日本画家)に墨絵を学んだのが絵を再開の切掛け、そこで墨一色で色彩を想像させる技法を学んだことが基礎になっているとのことでした。
実は
この講座、結婚してから全く描かなくなってしまった敬三さんを見て、奥さんが勝手に申し込んだと言うのです。ですから、敬三さんの絵心に再び火をつけたのは奥さんの功績と言っても過言ではないでしょう。
現役時代の藤森さんの仕事は半導体の製造、ところが墨絵を学び始めて2年弱でマレーシアへ出向を命じられ、泣く泣く赴任したとのことでした。
しかしせっかく始めた絵を諦めきれず、赴任先で中国人の鐘正山先生に師事、4年間中国画を習います。それが藤森さんの絵画人生にとって新たな転機となります。
当時のことについて、藤森さんの画集(後述)の中で鐘正山先生は次のように述べています。
「絵を描くことは、彼にとって元々趣味でした。職業ではありません。しかし、中国画に対する興味は強く、趣味をこえ、専門家よりも一生懸命に練習しておりました」
マレーシアからの帰国後も海外出張は29か国、しかし当時は企業戦士でしたから、出張先で絵を描いているヒマがない。昼も夜も仕事漬け。でもせっかくのチャンスなのだから、そこで見た風景を絵として残しておきたい。そういう強い思いから、考えついたのが朝のスケッチ。朝食前に2〜3枚ササッと描いて、何食わぬ顔で食堂へ行き仲間と合流したそうです。
結果的には、その描画法が「集中」と「省略」の技法を身に付けさせたと言います。短時間で描き上げるために、面白いと感じた対象だけ集中的に描き、それ以外は省略するという技法です。
絵は生まれ持った才能ではなく、その後の生活、経験、環境。興味をもって描き続ければ必ず上手くなる、というのが藤森さんの絵画に対する考え方です。
喜寿を迎えた集大成として、2013年1月には画集を出版しました。そこにはそれまで描きためた作品の中から117点が選ばれて収められていますが、選ぶのが大変だったと述べています。
最後にこれから取り組みたい夢を披露してくれました。
◎これまで描いた水彩画は80号止まり、体力があるうちにぜひ100号に挑戦したい。
◎来月から頼まれてポニークラブ(知的障がい者のリハビリのための乗馬クラブ)の方々に絵を教えることになっている。マルでも三角でもいいから、それに色を塗ることで、描く歓びを知ってもらいたい。
◎稲城の風景を描きとめておきたい。
◎これまでやったことのない油絵にも挑戦したい。
◎水彩で花の絵を描き、米寿を迎えた時に、花の画集を出版したい。
そうしたいつも前向きで、挑戦し続ける藤森さんの姿勢に、とても勇気づけられた金曜サロンスペシャルでした。
(小林)